僕がスポーツを嫌いになり、避け続ける理由。

僕ダゲオはスポーツが超絶苦手です。
苦手…というより「嫌い」という表現が一番しっくりくるかも。
そして「嫌い」に至ったのにはある訳があります。

ここに書いて今更どうにかしようとも思わないし、20年ほど前の話なので今の時代では起こらないことかもしれません。
でもまだ引っかかる心のトゲを取れるかもしれない…そんな期待を込めて文章にしてみようと思います。

もし、子どもに何かを教える立場の人の目に留まることがあれば、
こうやって20年もスポーツを遠ざける人間がいることを知っていただければ幸いです。

身体を動かすのが大好き。でもボールが苦手な少年。

僕は最初からスポーツが嫌いだったわけではありません。
小学校時代まではよく外で走り回って遊ぶ少年でした。
当時近所で流行っていたローラーブレード(今やってる人居る?)や一輪車、縄跳びやバドミントンはみんなで楽しくやっていたし、夏はプールがとにかく楽しみで、親も惜しまず道具を買いそろえる甘やかしっぷり。
中でもバドミントンと水泳は教室に通うほど大好き。
特に水泳は教室でも1番の速さで、自信をもって得意競技だと周囲に言うほどだったんですよ。

学校の体育の時間も楽しく過ごしていました。
ただ苦手に感じていたのは球技全般。
遠くに投げるとか、人に向かって投げる、人が投げたものをキャッチするといった行為を難しく感じていました。
ドッジボールは男子が力比べをするように思いっきり人に向かって投げるので、苦手というより恐怖…だったかな?

まぁそれでも嫌という感情はなく「え~ドッジボールか~テンション下がるわ~」くらいの感じで軽く受け流せる程度でした。

きっかけは体力測定の「ソフトボール投げ」

毎年やってた体力測定のソフトボール投げ。
これがスポーツ嫌いになるきっかけなんですが、小学校5年生までは楽しくこなしていたと思います。
低学年の頃はよく覚えていませんが、競争心も相まって結構真面目に取り組んでいました。

ところが小6の頃にある出来事が起こります。
それが「ダゲオ、ソフトボール10mしか投げられない」事件。
そう、僕は球を投げるのがとにかく苦手だったんですね。

当時小6の僕はどんなに頑張っても10mしか飛ばせませんでした。
精一杯力の限り投げて10m。
身体も大きくて力が無いわけじゃないのに10m。
自分の何が悪いのか分からない、上手な友達を見て真似してみても上手くできない…そんな感じでした。

当時小6女子の平均が17mくらいなので、記録が笑えないほど悪いのは分かっていました。
それでも小5の頃8mしか飛ばせなかった僕は2mも伸びてホッとしてたんです。


しかし…体育の先生は許してくれませんでした。

揺らいでいたセクシュアリティを攻撃された衝撃

10mしか飛ばなかった様子を見て先生は大激怒。(そりゃそうだ)
その年度から異動でやってきた先生はとにかく10mという記録が信じられないといった様子。
(前年の先生は、記録に対しては何も言わない人で平和だった)

クラス全員の測定が終わると、僕にだけ何度もソフトボールを投げさせ始めました。
正しいフォームを教えるでもなく、アドバイスをくれるでもなく、ただ何度も何度も。
結局10mどころかどんどん記録が落ちるばかり。
今思うと体罰の一種になるかもしれないですね。

さらに、肩が痛くて涙目になった僕に向かって先生は
「それでも男か」「ナヨナヨするな」「キンタマついてるのか」と言葉を投げてきました。

このとき僕は、肩が痛い事よりも先生が怒っている事よりも
声のトーンに「こいつは他の男子と何かが違う」という確信を感じられたことで、これ以上ない羞恥心と恐怖心を抱いたことを覚えています。

当時自分がホモ(ゲイという言葉をまだ知らなかった)かもしれないと悩んでいた自分にとって
自分の性的趣向は恥ずかしい事・隠さなきゃいけないこと・嫌なことだと心に深く刻まれた瞬間でした。

そして体育会的な「男らしい世界」が僕には似合わない場所だと知ったのです。

「好き」が潰されるなら「嫌い」になればいいや

スポーツが「(一応)好き」という感情の先で求められた「男らしさ」と、性的趣向に対する批判めいた暴言は、その日以降の人生を大きく変えました。

習っていたバドミントンと水泳はすぐにやめ、それから現在まで一度もやっていません。
中学に入ったら運動部に入ろう!と思っていた選択肢は消え去りました。
外で友達と遊ぶことも避けるようになり、せっかく誘ってくれても全て断るように。
中高の授業では運動全般が苦手で下手なキャラだとアピールすることに徹しました。

スポーツに参加して少しでもヘマをすれば、また僕の本性が暴かれるかもしれない。
得意な種目で張り切る姿を見せたら皆にからかわれるかもしれない。

そんな恐怖心が、スポーツが「嫌い」という感情を形成していったのです。

嘘が本当になった

「嫌い」と言い始めると意外とすんなり日常を送れるようになった気がしました。
元々身長も高く食欲旺盛だった僕は、動かなくなると巨漢へ一直線。
体型も味方して、運動が下手でも誰からも何も言われなくなり、とにかく楽でした。

その楽さも手伝って、いつのまにか心も体も「スポーツ嫌い」なダゲオが完成したわけです。

そしてこれから

今でこそ健康のためとジムに通うようになりましたが、スポーツ嫌いはまだまだ健在。

変化が出てきたのはつい最近のことです。
男子新体操という競技に出会い、やっと観戦したいという感情が出てきてくれるようになりました。
このままジム通いを続けてお腹のぜい肉が落ちたら、20年以上ぶりにプールで泳いでみたいと思えるように。

思春期の出来事がまさかここまで人生に影響するとは…
もうちょっと上手く折り合いつけられなかったのかな。自分。

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